「孤独死」は不幸なのか?「あたりまえ」を疑う

孤独死って不幸なことなのでしょうか?。少し言い変えると、孤独死したした当人は本当に不幸なのでしょうか?

孤独死問題が叫ばれて久しいですが、孤独死って、場合によっては、孤独死させた周囲の人間が罪悪感を感じて問題視しているに過ぎないのではとぼくはずっと思っています。

もちろん、当人が孤独死を不幸に思って亡くなる場合も多々あるとは思うのですが、必ずしもではないと思うのですよね。ぼくは自分が世間で言われるところの「孤独死」の状況で死んだとしても、それを不幸だとは思わないです。

まだ死を現実に感じる年齢ではないから分からないんだよという元も子もない批判はここでは置いておくことにするんですけどw、でも、たぶんこのまま時間が経過して身近な人間が順番通りに逝けば、ぼくは「孤独死」な状況で死ぬことになると思います。そして、それでいいと思っています。むしろ、そうやって死んでいきたい。理想を言うなら、森でも歩いていて死んじゃってそのまま腐敗してなくなってしまえたらいいのにと思います、ぼくが死んだことに誰も気づかずにね。

とここまでぐだぐだ自論を述べましたが、本題は「孤独死」を含めた人生観云々の話ではありません。「孤独死=不幸、無くさなければいけないもの」という世間の「あたりまえ」を当然に信じて受け入れることに対する疑問です。それは、物質主義に対する疑問と同じ構造です、ぼくの中では。とにかく世間の「あたりまえ」を疑うこと、「あたりまえ」を当たり前には受け入れないことを大切にしたいと思っている、という「ぼくの」お話でした。チャンチャン。


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